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東京高等裁判所 昭和53年(う)2351号 判決 1979年2月21日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

原審における訴訟費用のうち、原審証人安藤皓章、同林憲孝、同田中直義、同富田丈夫、同泉川健一に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人稲山恵久作成名義の控訴趣意書(ただし、同弁護人は、当審第一回公判期日において、控訴趣意一、二は、事実誤認の主張として陳述する旨釈明した)に記載されているとおりであるから、ここに、これを引用する。

控訴趣意一ないし四について

所論は、要するに、原判決挙示引用の鑑定書の鑑定資料となった被告人の採尿につき、事前に令状の呈示がなく、したがって憲法三五条に違反するばかりか、被告人の身体を押さえつけるなどの直接強制力をもって違法に採尿し、その同一性にも疑いがあるのに、かかる尿を資料に鑑定した右鑑定書は、証拠能力を欠くものというべく、また、原判決挙示引用の写真撮影報告書は、当時被告人が交通事故によるむちうち症で通院加療を受け、腕に注射をくり返していたときの注射こんを撮影したものであって、原判示覚せい剤の注射こんであるとすることについては、その証拠能力がなく、したがって、自白の補強証拠はなく、しかも、被告人の捜査官に対する昭和五三年三月六日付供述調書を除くその余の各供述調書は、拷問、脅迫等により作成されたものであって、任意性及び信用性を欠き、その証拠能力がないのに、原審は、以上の各証拠を事実認定の証拠として採用し、被告人の原判示覚せい剤使用の事実を認定したもので、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、まず、所論指摘の各証拠能力等の有無につき記録及び原審で取調べた以下の証拠を検討すると、次の事実を認定することができるのであって、この点に関する被告人の原審及び当審公判廷における各供述は、誇張された点や不自然、不合理な点も見受けられ、その供述内容自体に徴し、以下の認定事実に反する供述部分は到底措信しがたく、したがって、原判決もこれを採用していないところである。すなわち、身体検査令状、鑑定処分許可状、身体検査調書、原審証人安藤皓章、同林憲孝の各証言によれば、採尿を拒否していた被告人は、昭和五三年三月七日午後四時三五分から同四時四五分までの間、東京都立川市高松町三丁目二一番九号所在の岸中外科病院診察室において、立会人林憲孝警部補から採尿のため右身体検査令状及び鑑定処分許可状の呈示を受けて、診察台に上り、危害防止等のため立会人らに身体を押さえられ、鑑定人医師吉武成人の立ち会いのもとに、同病院看護婦が被告人の採尿に着手したが採尿ができなかったため、その直後同医師が被告人の尿道にゴム管をそう入して、ポリ容器に目測約三〇CCの尿を採取し、これを原判示鑑定書の鑑定資料に供したものであることが認められるから、被告人の採尿に際し事前に令状の呈示がなかったとはいえず、したがって、その採尿が憲法三五条に違反するものでないばかりか、右採尿は身体検査令状、鑑定処分許可状に基づく強制処分であるから、採尿の際、危害防止等のため被告人の身体を押さえつけ、ゴム管を尿道にそう入して採尿することは右強制処分の執行として必要やむをえない措置として許容され、その措置に所論の違法性は認められない。また、右事実に、原判決挙示引用の鑑定書によれば、採尿時目測で約三〇CCと思料された尿が鑑定時の測定で約三八CCあったからといって、目測の不正確性を考慮すれば、これを異とするにたらず、その同一性に疑いをいだかせる資料はないばかりか、当審において取調べた司法警察員作成の鑑定嘱託書謄本をもあわせ検討すると、その同一性は明認できるところであるから、適法に採取された被告人の尿を鑑定した右鑑定書の証拠能力は優にこれを首肯することができるのであって、所論のようにその証拠能力がないとはいえない。

次に、所論指摘の写真撮影報告書は、撮影時の昭和五三年三月六日午後二時ころにおいて、被告人の両腕に注射こんがあったこと、被告人運転の自動車の運転席下にあった白紙に包まれた覚せい剤及び注射針等の状況を撮影したものであるが、当裁判所に顕著なように覚せい剤の使用は通常腕の血管に注射している事例が多いことなどの事実に照らすと、覚せい剤を腕の血管に注射することが所論の経験則に反するものであるとはいえず、被告人も捜査官に対し自己の腕に注射したことがある旨語っており、後記のごとくその供述の任意性は肯定できるから、たとえ被告人がむちうち症の治療で腕に注射を受けていたにしても、所論のように右写真撮影報告書が直ちに証拠能力を欠くとはいえず、かつまた、原審弁護人も原審公判廷においてその証拠能力を争わず、これを証拠とすることについて同意しているのである。

次に、被告人は、原審公判廷において、捜査官の取調べを受けた際、所論にそう暴行、脅迫等の拷問や利益誘導等によりやむなく自白した旨語っているが、その語るところはたやすく措信しがたいことについては前に説示したとおりであるばかりか、被告人の取調べに当たった警察官である原審証人田中直義、検察事務官である原審証人富田丈夫、検察官である原審証人泉川健一の各証言によって認められる被告人の取調状況等を考慮し、かつ、所論指摘の各供述調書の形式及び供述記載内容等をあわせ検討すると、右供述調書の任意性に疑いを容れる余地があるものとは未だ認め難い(なお、被告人の検察官に対する供述調書中被告人が覚せい剤注射液を使用した日時の点についての供述は後記説明に徴しとうてい措信できない。)。

そして、記録によれば、以上の各証拠は原審公判廷において適法に証拠調べが行われていることが認められるから、原判決が事実認定の証拠として所論指摘の証拠を採用したことにつき何らの非違もない。

そこで、原判決挙示引用の証拠を総合すると、被告人が原判示覚せい剤粉末の水溶液を自己の身体に注射して使用した事実を認定することは難くないところである。しかしながら原審証人安藤皓章の供述によれば、覚せい剤を身体に使用した場合、約四〇ないし四八時間でそのほとんどが尿によって排出され、稀有ではあるが、使用後七日ないし一〇日して尿中に覚せい剤を確認した事例があり、このことは腎臓が一つの場合でも異ならないことが認められ、覚せい剤を身体に使用後一一日以降にもなお尿中に覚せい剤を確認した事例のあることを認めるにたりる証拠はない。ところで、原判決は、被告人が「昭和五三年二月中旬すぎころ」原判示覚せい剤を自己の腕に注射して使用した旨認定判示し、その「二月中旬すぎころ」の最終時点がいつを指すのか必ずしも明らかでないけれども、原審検察官は、これにつき同年二月「一〇日から同月二十二・三日ころまでの間の一日時を指称する趣旨である」旨釈明していることなどに照らすと、原判決は、遅くとも同月二三日ころまでの時期を判示しているものと解されるところ、被告人の採尿は、前認定のように同年三月七日午後四時三五分すぎであるから、原判示の覚せい剤注射液使用の日時は、右採尿時から逆算して優に右稀有の事例ですらある一〇日を超える以前の日時であって、原判決のいうように「昭和五三年二月中旬すぎころ」に被告人が原判示覚せい剤を使用したと認定することは、経験則に反し、とうてい是認しがたく、この点で原判決は事実を誤認したものというべく、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により被告事件について更に次のとおり判決する。

本件公訴事実については、これを認めるにたりる証拠がないことについては先に判断したとおりであるが、検察官は、当審公判廷において、「訴因の予備的追加請求書」に基づき訴因の予備的変更をしたので、この点について、次のとおり判断する。

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五三年三月上旬ころ、東京都内において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤水溶液を自己の身体に注射し、もって覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)

《証拠表示省略》

なお、被告人は、覚せい剤注射液を使用したのは昭和五三年二月一八日ころが最後であるというが、被告人から採取した被告人の尿中に前示の如く覚せい剤の存在することが明認される以上、被告人が覚せい剤を使用したこと、その使用の日時が覚せい剤の身体滞留期間内であることは否定し難いところである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当するので、その所定刑期の範囲内において、後記情状を考慮のうえ、被告人を懲役一〇月に処し、原審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、原審における訴訟費用の一部負担及び免除につき刑訴法一八一条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(情状)

被告人は、昭和五二年五月一六日売春防止法違反等の罪で懲役一〇月、三年間執行猶予に処せられながら、その後幾ばくもなくして、又もや、首肯する事由もなく、判示覚せい剤を自己の身体に注射してこれを使用したものであって、その常習性がうかがわれないわけではなく、しかも、被告人がこれまでに売春防止法その他の罪でたび重なる罰金刑に処せられていることなどの前科をもあわせ勘案すると、被告人の本件刑責は、軽視しがたい。被告人が本件で勾留されたことも加わって、一応反省の態度を示していること、その他被告人の年齢、経歴、健康状態、家庭の状況等に、本件の実刑により右執行猶予が取消されることなど被告人に有利な又は同情すべき事情を十分しんしゃくしても、本件は再度刑の執行を猶予すべき事案ではなく、主文掲記の実刑はやむをえないところである。

(裁判官 金子仙太郎 小林隆夫 裁判長裁判官谷口正孝は転出のため署名、押印することができない。裁判官 金子仙太郎)

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